十九番 太山寺

なつもなお のぼればさむき みねにさえ あとたれたもう ちかいたのもし

(夏も尚 登れば寒き 峰にさえ あとたれたもう 誓い頼もし)

三ケ根観音

奈良に大仏さまができたころ、三河の海辺に疫病がはやり、欠(かけ)村の漁師の息子も高い熱にうなされていました。海に向かって祈っていた父親が、青白く光る物を見つけ浜へ上げてみると、奇妙な大木でした。村人は気味悪がって、疫病神だと恐れ、焼き払おうとしましたが少しも燃えません。そこへ旅の僧、行基さまが通りかかり、「この木を粗末にしてはならぬ。御仏を彫ってしんぜよう」と告げました。一彫りごとに観音さまの姿に変わっていき、みごとに彫り上がるころには、はやり病もおさまりました。観音さまは、この辺りで一番高い三ケ根山の頂上に祀られました。(境内の表示板「はずの民話」)


古くから修験の霊地として知られている。形原温泉から三ケ根スカイラインで約4.7キロ。

(満願寺巡礼資料)

三ケ根の尾根沿いのスカイラインから降りる。本堂は尾根に囲まれるような形。

源平咲き分けの椿

昔源氏の武者先勝祈願のため植えたとつたえられている。源平の戦ひ盛なりし頃源氏の武者当山に籠りて戦勝の祈願をし本尊正面に椿の木を植えこの赤白咲きわけの椿白が多く咲けば源氏の勝利としたるに椿満開の時白椿の花の中に赤色の花わずかなり之源氏の勝利のおつげなりとこれより源氏の意気大いにあがり連戦連勝したとかその後数百年たつも白の花優勢にてこの咲き分けは今も不思議とされてゐる。(写真中の碑文)

白寿観音に比島観音?

尾根を登るとたくさんの碑文と観音様。

犬の墓まで。

こちらが比島(フィリピン)観音ですね。

今でこそスカイラインですぐですが、昔はここまで来るのが大変だったでしょうし、霊地としても頷けます。


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