二十四番 宝珠院

まいりきて ほとけたのめば われひとも たからのたまは こころままなる

(詣り来て 佛たのめば 我人も 宝の珠は こころままなる)

如意山宝珠院(浄土宗西山深草派)

当山は寛正四(1463)年に創建された吉田郷の草分けの古刹である。比叡山の学僧栄俊が東国巡回の途中に当地に立ち寄り十一面観音を祀ったという。栄俊はその後富士山にて修練し吉田口を開き、再び当地に戻り寺号を定め、伽藍を整えた。よって、人々は寺を吉田御坊と呼び、そこからこの地も吉田と称されるようになったという。当寺は天正十九年に豊臣秀吉の朱印状を受け、引き続き江戸時代にも吉田村内に寺領三十石を領有した。本堂は一部改変を受けているものの、延宝三(1675)年の建築で古い様式をよく留めている。※吉田の由来については、当時周辺に葦が茂っていたことによるとの説もある。(平成十九年三月 西尾市教育委員会)


観音は「草切観音」。住職によると、開創のころ周囲に葦がたくさん茂っていたからとのこと。教育委員会の一文目の「草分」は、洛西三十三観音霊場第三番十輪寺の「草分観音」と空目した...

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