二十七番 金蓮寺
つきもひも みなにしにしと いりあいの かねのひびきも ごくらくのみち
(月も日も 皆西西と 入会の 鐘の響きも 極楽の道)
もと真言宗であったが、暦應三(1340)年足利尊氏が現在地に移建し、寛政のはじめに悦宗活禅が堂宇を再建し、同九年曹洞宗に改めた。優雅な阿弥陀堂は国の重文。観音堂には昭和三十三年に十一面観音像が移遷された。(満願寺巡礼資料)
国宝 金蓮寺弥陀堂
弥陀堂は文治二年源頼朝公が家臣の安達藤九郎盛長に命じて建てさせた三河七御堂の一つである。棟梁は武田番匠であり他の六つの御堂はことごとく廃絶したがこの御堂のみは770年の風霜を経て現存し、愛知県における最古の重要建造物である。創建以来延宝六年、文化二年、明治三十八年の三回のほか、数度の修理を行い原形を保存してきたが、昭和二十年の三河地震によって倒壊の危機にひんしたので解体修理を行い、昭和二十九年六月創建当時の形態に復元完成し、新たに昭和三十年三月国宝の指定を受けた。この堂は鎌倉初期の建造で、当時の建築様式をよく保存している。鎌倉期特有の雄勁簡素な風を重んじ、金具や彩色による華美な風を排し素材そのものの美を表している。昭和四十七年九月 吉良町(境内の石碑)
国宝 金蓮寺阿弥陀堂(大正九年4月指定)
愛知県最古の木造建造物で、全国的にも数少ない平安時代の阿弥陀堂建築の流れを汲む優美な建物である。昭和二十九年に完成した解体修理により檜皮葺に復元され、翌年国宝の指定をうけた。文治元(1186)年に三河守護安達盛長が建築した「三河七御堂」のひとつとの伝承をもつが、平安時代の阿弥陀堂建築では四本あるべき内陣の来迎柱が日本で、中央より後方へずれることなどから鎌倉時代中期の建築と考えられている。(西尾市教育委員会)
愛知県指定文化財 木造阿弥陀如来及び両脇侍像(昭和30年6月指定)
来迎印を結ぶ阿弥陀如来の向かって右手に観音菩薩、左的に勢至菩薩を配する。経年による傷みが進んでいたが、平成19/20年度に実施された修理により欠損部分が補われ、後世の修理による塗膜が除去されたため、本来のりりしい表情がよみがえった。(西尾市教育委員会)
住職さんのお話では、吉良に37軒の寺があるが、ご詠歌の関係からこの寺だけが定時に鐘を鳴らすとのこと。
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