二十八番 華厳寺

しろあかと わかれてさくや たまつばき もとはひとつの みほとけのみち

(白赤と 別れて咲くや 玉椿 元は一つの 御仏の道)

片岡山 華蔵寺 臨済宗妙心寺派

華蔵寺は吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)公の曾祖父、義定公が吉良家を再興した際、新たに高家吉良家の菩提寺として江戸時代初期に創建された。吉良家は、鎌倉時代に足利氏が三河守護・吉良荘地頭を務め、この地に居住したことに由来する。室町時代には足利将軍家の一族として幕政の中枢で活躍した。

a吉良家墓所:吉良義安から義央の継嗣義周まで吉良家六代の墓が残る。

b枯山水庭園:本堂裏手の小堀遠州流庭園。

c吉良上野介義央公木像(愛知県指定文化財)義央公五十歳の姿を刻んだ木像で、自ら彩色したと伝えられる。

d経蔵(吉良町指定文化財)義央が元禄十三年に鉄眼一切経を収めるために寄進した。平成十四年に修理が行われ、創建時の杮葺(こけらぶ)きに復元された。

吉良町(境内の立札)

ここの石段は危険なので左手の坂へ

華蔵寺ぼん鐘(町指定文化財)

元禄三(1690)年、吉良さん(吉良上野介義央公)は、50歳を期してこの梵鐘を寄進する。戦時中の供出も免れて、吉良さんの遺徳を今に伝える。銘文に曰く(部分)源義央朝臣然其言而撰鳧氏尤者開大鑪韛設大范圍鑪就這洪鐘 平成九年十二月十五日 吉良町教育委員会

本堂改修中のためここで勤行。b枯山水庭園も今は見られない。

吉良上野介義央公墓。向こうに見えるお堂にc吉良上野介義央公木像(愛知県指定文化財)を収める。

右から13代義安公、14代義定公、手前が17代義央公

木像を収めた御堂にむかわず、墓所の奥に義央が元禄十三年に鉄眼一切経を収めるために寄進したd経蔵(吉良町指定文化財)

義央公が「吉良さん」と呼ばれ今も親しまれる様子が伝わってきました。宿泊したホテルも含めて、この一帯は「吉良さん」の御偉徳に満ちています。

このご詠歌は、義央公ご存命の時に既にこれだったのでしょうか。後の定めを超越しているような歌だと思います。


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