三番 大樹寺

雨風の 荒き浮世も 耐えやすし 慈悲の大樹の 陰に宿れば


松平、徳川家の菩提寺。

家康19歳、桶狭間合戦でこの大樹寺に逃れ、先祖の墓前で自害すべく13代住職登誉上人に覚悟のほどを表すと「厭離穢土、欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」と訓され、この八文字を終生座右の銘としたとされる。

本殿正面から、山門を超えて、岡崎城が見えるようになっている。

が、iphoneには荷が重かった。

創建:文明七(1467)年、松平四代親忠(家康から5代前)

開基:勢誉愚底上人

家康公御手植えの椎(しい)

家康公真筆「陣中名号」。一番最後が南無阿弥陀家康となっている。

宝物殿には徳川家歴代将軍の等身大の位牌がある。(以下、大樹寺パンフレット)

本堂正面の錦の厭離穢土欣求浄土に目を奪われたが、本堂左に安置された春日局念持佛である地蔵菩薩もかなりインパクトがあった。

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