十一番 渭信寺
いくたびも まいりてねがえ もろびとよ そぶみのさとの あらんかぎりは
(幾度も 詣りて願え 諸人よ 衣文の里の あらん限りは)
黄梅山渭信寺
開基:享保十八(1733)年八月
本尊:運慶作、前田利家公の守り本尊を、当時前田家と縁の深かった金沢大乗寺三十一代目住職、智燈照玄和尚が隠居されるときにこの地へ移した。この地はそれ以前から「衣文の里」と呼ばれる。
東海道を行くかと思いきや
少しそれた道に入って静かな里がある印象
本堂左に観音堂。こちらは本堂。
ソブミはなぜカタカナなのかと尋ねると、「衣文」が読めないことが多いからとのこと。
衣文の里の物語
渭信寺がこの地に開かれるよりずっと前、この辺りに「花籠の観音様」と呼ばれる観音堂があった。近くに娘と二人暮らしの老婆がいて、日々お詣りしていた。やがて娘に婿を迎え、子宝も授かったが、出産を間近に控えて娘が死んでしまった。老婆は毎日、観音に詣で、あの世の娘と孫の幸せを祈っていた。その日も一人で手を合わせて帰宅途中、里のほうから旅姿の僧侶が歩いてきて、すれ違ったときに衣の袖から一枚の紙が落ちた。「何か落とされましたよ」と急いで紙を拾い顔を上げると、もういない。その紙には「娘さんが立派な赤ちゃんを産みましたよ」と書いてあった。驚いて娘の墓に駆け付けると、地面の中から赤ん坊の泣き声。掘り起こすと玉のような女の子がいた。衣の袖から落ちた文で知った奇跡、それが衣文の由来。(渭信寺資料抜粋)
三河の岡崎からそのまま遠江にぬける街道から少し入ったところに、もともとこのような霊地があったということでしょう。
奥に前田家の紋が見えます。ずっと松平・徳川一色だったのでなにか珍しい。
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